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HY戦争のその後

レーサーレプリカ

HY戦争後、両社の痛手はなかなか癒えませんでした。
ファイミリーバイク市場はだぶついた在庫によって安値で販売されます。
そのため、当時の免許取り立ての若者は1万円から5万円で販売していた中古スクーターを購入し、男女問わず浸透していきました。
その結果、交通事故が増加。1986年には着用義務のなかったヘルメットが義務付けられます。

スズキとカワサキも痛手を負う

しかし、痛手を負ったのはホンダやヤマハだけではなく、同じファミリーバイクを販売していたスズキも痛手を負います。
両社に説得するも聞き入れてもらえず、HY戦争に巻き込まれてしまったスズキはヤマハに次ぐ100億円の赤字を負いました。
トップ争いをできるまでに成長していたWGP(現在のMotoGP)を一時撤退しなくてはいけないほどで、バイクからの撤退も検討されていたそうです。
自動車で稼いだ分を注ぎ、1983年に登場したスズキRG250ガンマによってレーサーレプリカブームが起こり、生きながらえることができました。
ファミリーバイクを持っていなかったカワサキも被害を受けます。アメリカ市場の景気低迷や市場の飽和と一時撤退することに。

2016年にホンダとヤマハが提携

あまりにも熾烈な争いだったHY戦争ですが、50cc以下の原付一種は年々衰退。
1980年に198万台を販売しましたが、2015年に19万4,000台と10分の1までに減少しました。
原付一種の価格上昇や軽自動車、電動アシスト自転車の普及によって、交通手段の多様化による背景もありますが、バイク市場の縮小も大きく影響しています。
現状を打破するために2016年にホンダとヤマハが提携を発表しました。
2018年からホンダの原付スクーターをヤマハがOEM(※1)で供給、業務用スクーターの共同開発しホンダがヤマハにOEM供給、原動一種の電動化普及に向けた基盤づくりを検討するという内容です。
※1 OEMとは他社ブランドの製品を製造、または製造している企業全体を指す言葉